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Moonlight Sonata: Deafness in Three Movements
     月光の曲/聾啞の3つの楽章

アメリカ映画 (2019)

2007年以来 ドキュメンタリー・フィルムの監督を続けたIrene Taylor Brodskyにとって10本目の作品。このフィルムで初めて自分の家族を登場させた。この非常に “個人的” な映画の中で、監督は、自分の長男のジョナスを通して、聾唖として生まれるということは何か? それが人工内耳の装着によってどう変化するのか、を克明に描いている。楽聖ベートーベンが徐々に聾唖に苦しめられたという有名な話と、ジョナスがチャレンジすることにした『月光の曲』とを結びつけ、練習の厳しさを描く中で、洗練されたアニメーションを上手に使い、ベートーベンの苦悩をジョナスの苦悩と重ね合わせてみせる。ジョナスは、 電気信号として内耳から聴神経に届けられるものが、どのように聴こえるべきかを時間をかけて学び、ピアノの微妙な音階にも慣れていく。それでも、人工内耳から受け取る電気信号を正確に解釈することはハードルの高い作業で、ジョナスはしばしば行き詰まる。そんな時、彼が発見したのは、人工内耳のスイッチを自分から切ること。これにより完全な静寂が訪れる。そして、その静寂の中で、失敗に惑わされず、譜面だけを見て、無音の状態で練習に励む。ピアノの練習以外でも、いつでも “スイッチ” を切って音を締め出せるというのは、可聴者にはない “強み” となった。そして、練習を初めて7ヶ月後、11歳のジョナスは、発表会で『月光の曲』の第一楽章を弾く。“作り事” のドラマとしてではなく、ありのままの “ドキュメンタリー” として。監督は、聾唖で発明家だった父から撮影の方法を習っただけあり、ジョナスが幼い頃の映像も鮮明にとらえていて、全体を通して、実に感動的な “物語” に仕立てている。私が、この映画を観て驚いたのは、聾唖や手話が過去のものとなる可能性だ。それほどまでに人工内耳は素晴らしい。それなのに、日本における人工内耳の取り組みが一般のニュースになることはほとんどない。普及率の国際比較も2005年の時点の古いもの(右)を除き、ネット上では1枚も発見できなかった。人工内耳に関して、一般人を含めた医療機関の関心が如何に薄いかが良く分かる。このドキュメンタリーを紹介した理由は、多くの人に人工内耳の素晴らしさを知ってもらい、人工内耳で改善できる障害を持った幼児の全員が速やかにこの手術を受け、幸せな人生を普通人と同じように、もしくは、”ジョナスように普通人以上” に送れるような社会になればと思ったからだ。下の図は、「Oh!みみなび」に載っていた、すごく分かりやすい人工内耳の構造図。耳の周囲にあって取り外し可能なものが、①音を拾うマイク、②それを電気信号に変える変換装置、③変換された電気信号を体内に埋め込まれた受信措置に送信する送信用コイルの3点。手術で体内に埋め込まれるものが、①受信用コイルを頭皮に固定するための磁石、②送信用コイルから送られた電気信号を受信して電極に送り込む受信装置、③受信装置から内耳まで伸びて、電気信号で聴神経を刺激する電極の3点だ。

TMPRSS3遺伝子の突然変異、すなわち、常染色体劣性遺伝による重度難聴という稀な原因により、ジョナスは4歳で聴覚を完全に失う。しかし、聾唖の両親を持つ監督は、回復不能の聾唖になった長男に人工内耳の手術を受けさせる。老人は人工内耳を装着しても、永年にわたって音を識別できなかった脳は反応してくれない。しかし、ジョナスの若い脳は、音が電気信号に変換されたものを、脳の中で再び音として認識・区別でき、次第に、正常に近い話し方ができるようになる。映画は、そこから、11歳のジョナスへと飛ぶ。監督が このドキュメタリーを撮り始めた時のジョナスだ。彼の聴覚は100%正常ではなく、簡単な単語でもかなりの確率で間違えたり、混声時の会話は巧く聴き取れないというハンディを持っている。それでも、ピアノが好きだったので、撮影を契機に『月光の曲』の第一楽章に挑戦する。声と同じで、ピアノの音も、電気信号として脳に伝わる時に混同を招いたが、ジョナスはそれを克服し、我慢強くて親切なピアノ教師の薫陶を受け、練習に勤しむ。それでもミスタッチをくり返し、教師からは咎められる。そんな中でジョナスは上手な練習法を見つける。人工内耳の体外装置を外し、受信装置に音がいかないような状態で練習するのだ。この無音の世界での練習では、ミスタッチは気にならず、楽しく練習ができる〔教師のいない時しかできないが〕。この “聾唖であることの欠点” を逆手に取ったアイディアは、練習だけでなく、日常生活でも利用でき、ジョナスはしばしばスイッチを切るようになる。そして迎えたピアノ教室の定例の発表会の日。ジョナスは、失敗はあったかもしれないが、つつがなく演奏を終え、参加者から拍手を受ける。

ジョナス・ブロツキー(Jonas Brodsky)は、俳優ではないので詳しいことは何も分からない。映画の一場面から、撮影が2017年に行なわれ、その時点では11歳だった。演技ではなく、自然の姿をそのままを撮影しているので、表情はごく自然。その割に、おどけたり、すねたりと表情は豊かで、並みの子役よりずっと可愛い。話し言葉は、やや話し方に癖があるが、聾唖者とはとても思えない。ピアノの腕は趣味程度かもしれないが、微妙な音程や音の僅かな強弱を電気信号だけで判断するのはかなり難しいことだろうと感心する。

あらすじ

映画の冒頭、題名の直後、「第1楽章」と表示される。「私の息子ジョナスが生れた時、医者は、耳は聴こえると言った」。父親が机をトントンと叩くと、ジョナスも玩具の太鼓を叩くことができた(1枚目の写真)。「家族間の遺伝は、予告なしにやってくる。それは、世代を1つか2つ飛び越える。しかし、時として出現する。言葉を覚える年になり、ジョナスの発音に異常が出始めた」。映画では、『きらきら星』をジョナスが歌う場面がある(→ 文字映像)。文字映像から分かるように、はっきり言って、何を言っているのか、後の方は聴き取れない。ジョナスが聴覚の検査を受けた時、12の絵の中から「カウボーイ」と言われた時は指差せたが、「フットボール」と言われた時は聴き取れなかった。「毎月、私達は新しい聴覚テストを受けさせた。音は、彼から そっと消えて行った。単語も、文章も、すべてが」「私は耳が聴こえる。兄と妹も。でも、私の両親は2人とも聾啞だ。それでも、2人は、“聴こえる社会” に上手に適合した… 我々の社会に。そして、2人が楽しむことのできないものを、私達に与えた。音楽のレッスン、レコード・プレイヤー、映画などなど。お返しに、私達は両親の通訳となった。2人の耳だった」「今は、そのママとパパが私を助けてくれる」。映画は、幼いジョナスが、祖父母と遊ぶ姿を追う。耳が聞こえない同志の暖かい接触を。「ジョナスが生れる1年前、ママとパパは人工内耳の手術を受けた。しかし、2人の脳は、音のない生涯に適合してきたため、入ってきた音を、意味のある言葉として認識できなかった」「4歳になった時、ジョナスは完全に聴覚を失った」。ジョナスはすぐに人工内耳〔冒頭の解説の図を参照〕の手術を受ける。そして、遂に包帯を取る日がやって来る(3枚目の写真)。「私は、両親の経験から学んでいた。どうやって聴くかを学ぶには、大変な努力が必要だと。しかし、ジョナスはとても有利だった。幼かったから」「最初、ジョナスを襲ったのは、嵐のようなビープ音や、訳の分からないカチッという音だった」「ゆっくりと、彼は音を理解し始めた。彼の声が変わった。今では聞こえるようになったから。言葉を取り戻したのだ」。ここで、映像の中のジョナスが小学校低学年に変わる。「ジョナスは、ピアノのレッスンを受けたいと言い出した。ピアノ教師のコリーンは、“ド” と “ソ” の区別を教え、シャープとフラットの違いも教えた」「ジョナスは、ひどい間違いもしたが、音楽は、音を把握する助けになった」。最後の頃は8歳くらい、『エリーゼのために』が弾けるまでになっている。ここまでがイントロ。以後は11歳のジョナスに変わる
  
  
  

11歳になったジョナスが、音の認識のテストを受けている。最初の一連のテストは(1枚目の写真)、無音状態で、鮮明に発音された単語を正しく解釈できているかのテスト(→ 文字映像)。ピンクが誤りだが、6問中4問が正解。ジョナスの脳は、人工内耳の電気信号化された音に慣れているハズだが、正解率は思ったより低い。それだけ難しいということか。2番目のテストは、遥かに難しい。ざわめく音の中で、早口で女性が話す言葉を聴き取るテストだ(→ 文字映像)。第1問は “Cassie” と “Cathy” の区別が難しい。第2問は “school” で引っかかって先に進めない(2枚目の写真)。第3問は、惜しいところで余分な単語を付けてしまう。でも、これはネイティヴでないアメリカ人にとっても難問だと思う。ここで場面は変わり、ジョナスが、真剣な顔で考え込んでいる(3枚目の写真)。「ジョナスが11歳になった時、彼は、ピアノの教師にどうしても『月光の曲』を弾いてみたいと頼んだ。彼女の最初の反応は、難し過ぎると告げることだった。彼女は他の楽譜を与えたが、彼は練習しようとしなかった。ジョナスはネット上で楽譜を見つけた」。ここで、監督(母)の解説は作曲者そのものへと移る。「ベートーベンは、彼が聾啞に向かう中で『月光の曲』を作曲した。一部の人は、聾啞を、人間にとって欠陥だとみなす。でも、それは欠陥なのだろうか? ベートーベンは、どこでメロディを見つけたのだろう?」「結局、ジョナスの教師は折れ、『月光の曲』を教えることに同意した。そして、7ヶ月後の発表会で弾くことを目標にした」。ここから、ジョナスの “ピアノとの闘い” が始まる。
  
  
  

練習中、ジョナスは不協和音を鳴らしてしまい、「ごめんなさい」と謝る。「今週は、ちゃんと練習したの?」。「はい」。「前にも言ったように、ベートーベンは、スローダウンするように弾けとは言ってない。正確に同じテンポで弾いて欲しいと思っているの。これは、『幻想曲風ソナタ』なのよ」(1枚目の写真)〔『月光の曲』はあくまで通称で、楽譜には『Sonata quasi una fantasia(幻想曲に近いソナタ)』としか書かれていない〕。ジョナスが第26小節を弾き始めると、すぐに、「そうじゃない。そこは “嬰ニ” でしょ。あなたは “ニ” で弾いてる。そこでストップ。何度も話したのに、またやってしまった」。「しまった」。「赤鉛筆、渡して」。「うまく弾いてたのに」。「いいえ、音符を間違えたら、うまいなんて言えないわ」。「今日、最初のミスだよ」。27小節に入ると、「そこを、もっとしっかり」と指示される。ジョナスは、27小節をもう一度弾き直す。今度はうまく弾けたので、教師は もう一度弾かせる。すると、調子が狂う。教師は思わず笑い、ジョナスもつられて笑う(2枚目の写真)。すごく明るい子だ。「じゃあ、もう一度、そこから始めて。途中でやめないで」。「全部忘れちゃったみたい」。ここからジョナスは再び始めるが、27小節ではなく何故か47小節から。そのまま50小節の途中まで無事に弾いて大喜び(3枚目の写真)〔ドキュメンタリーなので、編集時に途中を飛ばしたのだろうか?〕。しかし、そこまで弾くと、教師は「ゼロ点」と言う。「そんな」。「ミスを直さないからよ。それじゃ音楽じゃない」。ジョナスは、鍵盤の前でうなだれる。しかし、可哀想に思ったのか、教師はすぐに、「悪かったわ」と謝る。
  
  
  

ここから、「第2楽章」に入る。ジョナスが、生徒達とサッカーをしているシーンを背景に、監督の言葉が流れる。「私の子供のなかで、ジョナスだけが聾唖だった。後から生れた2人の弟は、耳が聴こえた」。人工内耳をつけたジョナスは、コーチの指示に従って普通に練習ができている。練習が済んだジョナスは、近くに住んでいる祖父母の小さな家を訪れる。玄関でジョナスを迎えた祖母は、「髪を切ったら?」と “話すことができる聾唖者特有の聴き取りにくい言葉” で訊く。「切らないよ」。「私達は、ママやパパと 通りを一つ隔てた所に住んでいる」。ジョナスは、祖父母と一緒に食卓テーブルに座る。祖母は、「10年後のあなたが どんな髪形をしてるか想像すると楽しいわね。きっと丸刈りよ」と話す。ジョナスは髪を押さえて天井を仰ぐ。「それともパーマかしら」。ジョナスは、聾唖者のような話し方で、「ノ~」と答える。「分からないじゃないの。モヒカンの可能性だって」。ジョナスは手話で「Yes」とおどける。それを見た祖母は、「何か話してみて」と、手話を使うように頼む。ジョナスが手話で何か言うと、祖母は、「ぞんざいね。もっとまじめになさい。そんなの手話じゃない、ただのアルファベットね」と厳しい(1枚目の写真)。「待ってよ、どこが?」。「手話は、指文字じゃないの。もっと練習しないと」。そう言うと、「僕の名前は…」のあと「JONAS」の部分を手話でさせる。「良くなったわ」。それを聞いたジョナスは、“驚き” を手話で表現する(2枚目の写真)。実にひょうきんだ。ジョナスの隣で “1人トランプ” をしていた祖父は、突然、「ジョナス、私が君だったら、できるだけたくさん友達をつくるようにする」と言い出す(3枚目の写真)。「そして、彼らに、君のことを話すんだ。聴覚に少し問題があると。だが、みんな問題なく理解してくれる。私が子供だった頃と違って」。祖父の英語の方が、祖母よりは正常者にやや近い。その後も3人の会話は続く。ジョナスは、聾唖者同士なので祖父母と仲が良い。
  
  
  

ここで、珍しく、短いインタビューが入る。「僕は聾唖だよ。人工内耳があるから聴ける。人工内耳なしじゃ聾唖だから、人工内耳は僕の一部になってる。ほとんどね。厳密に言えば…」。ここで、ジョナスは人工内耳の体外装置を外す(1枚目の写真)。これで、受信装置との接続が絶たれた。「これでもう聞こえなくなった。話すことしかできない」。どんな感じがするかと(手話で)質問され、「今、どんな感じがするかって? 僕は話し方を知ってるから、何を話してるかは分かるけど、それが聴こえるわけじゃない。自分の言葉が聴こえないのは、変な感じだね。今、話してる時だって、それが、どんな風に聴こえてるか全然分からない」(→ 映像〔著作権の関係でモザイク入り〕)「喉に触れれば、振動は感じるけど、聴こえるわけじゃない。叫んでも、呻いても」。ジョナスがこれだけ普通に話せるのは、人工内耳により、聴き、話す練習が十部にできているからだ。そのあとの場面で、ジョナスはビデオゲーム「BEDWARS」に熱中する(2・3枚目の写真)。オンラインプレイヤーとの対話型のゲームなので、聴覚と会話が必要だ。ジョナスは難なくこなしている。
  
  
  

ジョナスと弟が後部座席に乗り、横に祖父が乗っている。ジョナスは、「ハミルトンかアーロン・バーのどっちをやる?」と弟に訊く(1枚目の写真)〔1804年7月11日に起きたアメリカ史上有名な元・財務長官と現・副大統領との決闘〕。ここで、監督は、祖父のことに話を持っていく。「1950年代まで、ほとんどの聾唖の人達は自動車保険にすら入れなかった。パパは14歳で運転免許を取得したが、そのため運転できなかった。彼が大学院を修了した時、パパの両親は赤いフォードの新車をプレゼントした。彼は、ママを乗せてデートした」。2人が結婚する映像が流れる。「パパは、技術者で、発明家でもあり、私の父親になった。家族は、彼にとってすべてだった」「彼は、いつも私達の映像を記録した。私に最初のカメラも買ってくれ、写真の撮り方を教えた〔これが、娘を映画監督にした大きな要因〕 。その後、車は、私も通ったことのある特徴的なセント・ジョーンズ〔St. Johns〕橋を渡る。これで、一家がオレゴン州ポートランド近郊に住んでいることが分かった。ジョナス達がそこに行った理由は、「2017年のエインズワース〔Ainsworth〕・タレント・ショー」に参加するため。ここで、祖父が語る(2枚目の写真)。「聾唖は、強い意味を持つ言葉だ。私にとって、“聾唖” であるということは、耳を通して世界を理解できないことだった。一度、私はジョナスにこう言ったことがある。『君は、私の思っている意味での聾唖ではない』。彼が、両親と普通に話し、友達と普通に話すのを見て、こう思ったものだ。『何て彼は幸せなんだ。私もあんな風に出来たらいいのに』」。前半の部分(→ 映像〔著作権の関係でモザイク入り〕)。下に字幕が入っているのは、アメリカ人でも聴き取りにくいため。ジョナスとの違いがよく分かる。このシーンの後、ジョナスがピアノ演奏を披露し終えてお辞儀をするシーンが一瞬入る(3枚目の写真)。
  
  
  

ここで、もう少し古い過去が祖父によって語られる。「私が まだ小さかった頃、自分が “違っている” とは知らなかった。私が聾唖だと母が気付いた時、アラバマ州バーミンガムの公立施設は、どこも私を入れようとしなかった。だから、母は600マイルも北にある特別な施設に入れた。その時、私はまだ3歳だった。そこでは手話は教えなかった」(1枚目の写真)「彼らは、手話ではなく、声を信じていた。私は、彼らの喉に手を当て、声を出されるのを感じた。そして、声がどうやって出るかを知り、それを真似しようと努めた」(2枚目の写真)「しかし、他の人が理解できるように話せるまでには、長い時間がかかった」。「静寂は、パパに、そして我々すべてに、何か貴重なものを与えてきた。それこそ、聾唖がもたらしてくれるもので、息子も、それに気付き始めていた」(3枚目の写真)。
  
  
  

『月光の曲』の練習風景。演奏の前に、ジョナスは、3つの音を鳴らす。それを聞いた教師は、「ベートーベンの耳が聴こえなくなった時みたい。彼は、あなたが今やったみたいに、心で聴いたの」と言う(1枚目の写真)「でも、今は、ベートーベンが楽譜に書いたように弾きなさい」。しかし、ジョナスはやめない。「どうしたか、言いなさい。学校で悪いことでもあったの?」。「ううん」。「学校は楽しかった?」。「うん」。「今のは、緊張のせい? 悪戯のせい?」。「悪戯」。「そう。じゃあ、今日のレッスンの評価は “O” にするわね。あなたは、“S” だと思うから、“O” じゃないよう頑張れば、アルトイズ〔キャンディー〕を1個あげる」〔“O” の意味は不明。スコットランドでは、“Ordinary” のことだが、ここはアメリカなので/発音は “オー” で “ゼロ” ではない〕。ジョナスは、第17・18小節を順調に弾く。この映画では、ベートーベンの苦悩を描いた上質で象徴的なアニメが要所要所で使われる。ここでも、そのアニメを背景に、「聾唖の兆候がベートーベンに影響を与え始めて数年が経っていた。彼にとって、聾唖になるかもしれないことは苦悩であり、屈辱ですらあった。彼は孤立感から孤独を好み、多分、人々から誤解された。彼は あらゆる医者を訪れた。『聴覚が良くなることは恐らくなく、悪くなるだけであろう』と告げられた」という言葉が流れる。練習が終わり、ジョナスが、「アルトイズ、1個いただけますか?」と丁寧に尋ねる。「いいわよ」。ジョナスは箱を開けると、入っていたキャンディー全部に、「タッチ、タッチ…」といいながら触る。それを見て、教師が笑い出す。「今、食べていい?」。「指がきれいなの?」。「ううん。全部食べちゃうよ」。「あなたって小鬼君ね」(2枚目の写真)。次のシーンで、遺伝子検査を行った結果を祖父母が知らされる。それによると、2人ともTMPRSS3遺伝子が突然変異を起こし(変異体)、それがジョナスの難聴と原因となった。この「常染色体劣性遺伝による重度難聴」の確率は、小児難聴全体の僅か0.5%という稀な疾患だった。2人だけになった祖父母は、読唇で会話を交わす。「何を考えてるの?」。「将来、聾唖はなくなるだろうと考えてる。科学を総動員すれば」(3枚目の写真)。
  
  
  

ジョナスがピアノを弾き始めると(1枚目の)、教師が、「なぜ、こちらに来ないの? 演奏はやめて、個々の小節について話し合いましょう」と呼ぶ。教師は、最初に第10小節を示し、「ここは、強く弾き過ぎないようにしないと。他人の前で話す時、ちょっと声をひそめるようにね。そんな時、耳をそばだてたくなるでしょ」。聴衆にそれを求めるように弾くというのは難しいことだ。「ここは、あなたが物語を奏でて、感情を表現しないと」。ジョナスは考え込む(2枚目の写真)。次の注文は、第5小節。「これらの音符は、感情的な物語を表現しているの。だから、あなたがちゃんと弾いたら、聴いてる人は、『そうか、ここで何を表現しようとしてるか分かったぞ』って思うわ」。ジョナスの表情は あきらめに近い(3枚目の写真)。3つ目は、ジョナスが最初に弾いていた第27小節。「ベートーベンは深い感情を持ってここを作ったの」。この後、監督による『月光の曲』の解説がアニメとともに入る。「この曲は、美しさを追求したものではなく、深い恐怖から有頂天の喜びまでの体験を深く描いたもの。だから、この曲から伝わってくるものは、夜の湖に反射する月の光などではない。彼の聾唖そのものだ、と思う」。
  
  
  

教師は、演奏に磨きをかける〔polish〕よう求める。「どういう意味か分かる?」。「ミスタッチをしないようにすること?」(1枚目の写真)。「それはとても基本的なことよ。ミスタッチはあってはならないの。誰でも少しはミスタッチをするけど、あなたは何度でも繰り返すでしょ」。「分かったよ、じゃあ、磨きをかけるって、強弱法〔dynamics〕?」。「そうよ」。ジョナスは、如何にも「やった」という顔をする(2枚目の写真)。「アルトイズ、1個だよね」。ジョナスは、さっそく1個箱から取り出して口に入れる。「強弱法を取り入れなかったら、聴いていても面白くないの」。ジョナスは、『エリーゼのために』を、2通りの方法で弾いてみせる。普通に弾くのと、極端に感情的に弾くのと。「こうでしょ?」。「その通り。でも、そんなオーバーな動作はすべきじゃないわ。指で表現するだけでいいの」「あと演奏について。曲の途中で頭を掻いちゃいけないわ。左手が暇な時、あなた よくこうするでしょ」。「コンタクトが気になるから」〔そういえば、4歳のジョナスは眼鏡をかけていた〕。「分かったわ。でも、演奏中にやってはだめ。いくら痒くなっても、我慢するのよ」。次に、譜面の第4小節を指し、「ここについて話しましょ。今は、ここでソフトペダルを使っているわね。冒頭には、『全体にピアニシモで』と書いてあるでしょ」〔正確には、「sempre pp e senza sordini(全体を通してピアニッシモで、ダンパー無しで)」と書いてある〕。そして、教師は第4小節を弾き、第5小節最初の低音と、そこから登りつめて “歌い” 始める部分について指摘する(→ ♪♪♪(別の演奏者))。最後にジョナスは、「今日は、楽譜の何枚を…」と訊き始め、いきなり「2枚」と言われる。ジョナスは、信じられないお顔で、「2枚?」と訊き直す(3枚目の写真)。「悪いわね」。「そんなの… 標準じゃないよ」。「分かってる。でも、あなたを助けようとしてるの。今までは、あなたがやれると思って6枚でやってきたけど」〔ジョナスの進歩が遅いから?〕
  
  
  

ジョナスの練習環境は必ずしも良くない。時として劣悪になる。2人の弟がキャーキャー騒いで邪魔するからだ。末弟と祖父が遊んでいて、末弟がダダをこねて甲高い声で泣き始めると、祖父は体外装置を外す。すると、静寂が訪れる。「パパには、強大な力がある。彼は、人工内耳を遮断することで、音を締め出すことを好んだ」。その後も、家中に満ちている “生活騒音” にジョナスが悩まされている姿が映る。「ジョナスは、自分にも “強大な力” があることに、まだ気づいていなかった」。ジョナスは、ミキサーの音が隣の部屋から響いてくる中で練習を始める(1枚目の写真)。しかし、何度もミスタッチし、ついにギブアップ。鍵盤の上で頭を抱えていると、末弟が、それを見て、「起きて!」と叫ぶ(2枚目の写真)。「もうできないや」。ジョナスは、ベッドに寝転び、頭から毛布を被る。そこにやって来た母が、「ジョナス、しばらく体外装置を外してみたら? 気を落ち着かせるために。今日、お祖父ちゃんが何を言ったと思う? お祖父ちゃんの人生は、聾唖だから良くなったと思ってるって」。ジョナスは毛布から顔を出して考える(3枚目の写真)。
  
  
  

ここで、話が祖父の方に移り、最近、思考能力が落ちていると訴える場面の後、祖父の運転で、ジョナスと母を乗せてどこかに向かう。スマートホンでナビを見ていたジョナスは、「左に曲がって」と言うが、祖父の反応は鈍い。そして、「ポケベルを渡してくれ」と、スマートホンを見せるよう要求する。ジョナスが、「今、ここだよ。だから、そこ」と、指でくどいほど指す(1枚目の写真)〔アメリカではカーナビが普及していない〕。ジョナスは、恐らくヒヤヒヤしたことだろう。それほど祖父の運転は危険だった。ジョナスを送っていった後、家に戻った母と祖父母は話し合う。母は、祖父に向かって、子供達を乗せて運転して欲しくないと言い出す。祖父は50年運転してきたし、最近は速度を落として運転していると言うが、祖母は母の意見に全面的に賛成する。「子供達を乗せることはダメ。私達2人でどこかに行くのは構わないけど」。祖父が何を言っても、祖母は強力に反対し(2枚目の写真)、問答無用で議論を打ち切り、祖父は仕方なくOKする。そして、事態はさらに進み、祖父が知能の検査を受ける。①赤と白の8個のピースを使い、示された簡単な模様を作るテストはパス。②100引く7の口頭質問には93と答える。③医師が、4つの単語を1回だけ発音する。「robin(コマドリ)、carrot(ニンジン)、piano(ピアノ)、green(緑)」の4つ。祖父は、覚えようと必死だが…  医師が、「4つの中に楽器がありましたか?」と訊くと、祖父は、あやふやに「バイオリン?」と言う。医師が「楽器には、ドラムやピアノやトランペットもありますね」とヒントを言うが(3枚目の写真)、祖父の頭の中からは、「ピアノ」という単語は消えていた。④最後の質問は、「Fで始まる単語をできるだけたくさん言ってみて下さい」。祖父が言えたのは「FUN(楽しい)」だけ。医師の診断は、「初期の認知症」。そして、「認知症の一般的な原因はアルツハイマー」で、「不幸にして、症状は進行し、他の障害も現れるでしょう」というものだった。
  
  
  

ここから、「第3楽章」に入る。ジョナスは、第11小節から練習を始めるが(1枚目の写真)、次の小節に入ってミスタッチを連発。一度休んで、もう一度始めるが、今度はめちゃめちゃ。頭をかかえる(2枚目の写真)。そして、遂に体外装置を外す。そこから画面は、ジョナスにとっての音になり、ピアノを弾いていても観客に音は聞こえない。だから、ジョナスは指の感覚だけで弾いている。音は、頭の中で感じているのであろう。ここで、ベートーベンのアニメ。「彼は、音を記憶した。楽譜を見れば、聴くことができると知っていた。彼は作り上げた芸術を “見る” ことで救われた。彼は、孤立することで感覚を磨き、世の中の雑音を締め出し、心にあるものを聴くことができた」。練習を終えたジョナスは体外装置をつける。そして、母に、「どうだった?」と訊く(3枚目の写真)。「美しかったわ」。「変だね」。
  
  
  

ジョナスと祖父がチェスをしている。「ジョナスは、音のない世界に跳びついた。体外装置を外すことが多くなった」(1枚目の写真)「そして、父と過ごす機会が増えた」(2・3枚目の写真)〔聾唖として生まれても、人工内耳をつけて普通の人のように生きられるようになりさえすれば、逆に、沈黙の世界を持てることが、一般人にはない特典になるという新しい発想〕
  
  
  

ジョナスは、「茶色〔髪の色〕で、ピアノのイスに座ってるの、何~んだ?」と教師に訊き、自分で「ベートーベンの第1楽章」と言って、ワザとらしく笑う。教師は憮然としている。ジョナス:「演奏会を、今週末にでも開きたいんだけど」。「これ以上、練習したくないから?」。「うん。それに、もうばっちり〔nail〕だから」(1枚目の写真)。「あなたは、“ばっちり” だと思ってても、“ばっちり” じゃない、ぜんぜんね。常に改善の余地はあるの」。「そうだよね」。「YouTubeで聴いたの?」。ジョナスは、「悪うござんした」とふざける。「YouTubeで聴いたのね?」。「はい」。「ホント? 誰? どのピアニスト?」。実は、聞いたことがなかったジョナスは、返答に困って、「ベートーベン」と言い、教師を大笑いさせる。この2人、実に仲がいい。ひとしきり笑った後、教師は、「正直なこと 知りたい? “ばっちり” 君?」と訊く。「僕、“ばっちり” 君じゃないよ」。「あなたは大きな音で弾くけれど…」(2枚目の写真)「…それじゃダメなの。もっと練習すれば、音符がちゃんと聞こえるようになり、うまく弾けるようになるわ」。「ありがとう」。この言葉は、本当に感謝している言葉と受け止められなかったので、教師は、嫌味で、「どういたしまして」と受ける。しかし、ジョナスは本気で言ったつもりだったので、「本気で、言ったんだよ、ありがとうって」と付け加える。教師が帰った後、ジョナスはさっそくミニ・ノートパソコンを立ち上げ、YouTubeで『月光の曲』を調べてみる。なかなか上手なのに当たらない(3枚目の写真、彼が聴いているのは、漫画『スヌーピー』のシュローダーが弾いている場面)https://www.youtube.com/watch?v=dKA-NOQBdH0。その後で彼が見た、リック&モーティ・アニメ(Rick & Morty Anime)のシーズン3が面白いhttps://www.youtube.com/watch?v=a7aXc1B0Mvo。そして、発表会の日まで、ジョナスの苦闘は続く。
  
  
  

ジョナスが、夜、起きてきて、体外装置を外して練習している。ジョナスの言葉が入る。「人工内耳なしで演奏するのは、とっても楽しいんだ。美しいし、うっとりする〔譜面通りの音が心の中に響く〕。ミスタッチしても、気にならない。どんどん進める」(1枚目の写真)「心をさまよわせたっていい。聾唖でない状態にちゃんと戻れると知ってるから、こんなことができるんだ」(2枚目の写真)。この最後の言葉は重要なので、この言葉の部分の映像を、字幕付きで紹介する(→ 映像〔著作権の関係でモザイク入り〕)。このあと、祖父の言葉が、別の映像を背景に流れる。「私は、“私のような幸運” に恵まれなかった多くの両親を見ている。私は、起きたこと〔聾唖になったこと〕に満足している。私はよい人生を送れた。これ以上、何を望めるだろう?」。そして、祖父の79歳の誕生日。ジョナスと弟が、ロウソクを1本立てた小さなケーキを持ってくる(3枚目の写真)。アルツハイマーの祖父は、2人に誕生日ソングを歌っていても、指摘されるまで、それが自分の誕生日のためだとは気付かない。
  
  
  

発表会の朝、ジョナスは、爪を切り、ブルーの格子柄のYシャツにグレーのネクタイを父に結んでもらうと、会場に向かう。ピアノの教師コリーンの生徒の発表会なので、聴きに来ている人達は関係者だけの小規模なものだ。コリーンが、「皆さん、ようこそいらっしゃいました。演奏が終わった子供たちには、演奏が完璧でなくても、頑張った努力に対し、心からの拍手をお願いします」と話しかける。最初に演奏するのが、ジョナス。曲目は、『月光の曲』の第一楽章だ〔難易度はBかC/第三楽章はE〕〔難易度は低くても、この曲を “弾ける” というのと、“ちゃんと弾ける” というのではかなり違うことは、教師の細部にわたる教え方から想像できる〕。ジョナスは一礼してピアノに向かうと、演奏を始める(→ 映像〔著作権の関係でモザイク入り〕)。最後に監督の言葉が入る。「その日、ジョナスが何を耳で聴いたのかは分からない。祖父がそれを覚えているかどうかも。あるいは、ベートーベンが何を思って私達に『月光の曲』を与えたのかも」(3枚目の写真、体外装置がはっきり分かる。コードの先の髪の中に送信コイルがある)。「私達はジョナスに聴覚を与えた。でも、彼は、自分で声を見つけなければならなかった。もし、聾唖が当然変異なら、遺伝子の “タイプミス” なら、そのミスから音楽が生れたのかもしれない」。
  
  
  

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